福岡市と博多駅

ざっくり歴史を追っていくことにしましょう。福岡市は今から122年前の明治22年(1889年)に市制施行によって武士の町と町人の町が合併して生まれました。この頃は全国でも珍しい双子都市でした。しかし、その当時は『福岡市ではなく博多市にするべきだ』という意見が多く運動が起こった程でした。また、『福岡市と博多市を分けた方がよい』という声も上がっていたのですが、そのころ行政で県名が「福岡県」と決まったことから、そのまま福岡市となったのです。そんな経緯から九州発の鉄道がその年(明治22年)に開通しますが、駅名を「博多駅」とすることになります。

大学誕生から発展

九州の発展に大きく関わりがあるのが九州大学の誕生でした。今から108年前の明治36年(1903年)に京都帝国大学福岡医科大学が福岡に設置されます。その際、福岡県以外にも長崎県や熊本県が名乗りを挙げましたが、誘致合戦に勝ち福岡に設置されることになるのです。その後の明治43年(1910年)に九州帝国大学と名を変えて、現在の九州大学となります。九州大学が生まれることで全国からたくさんの人が集まり、今の福岡の発展へと繋がります。当時の福岡県は長崎県や熊本県と比べて様々な発展から遅れを取っている状況でした。その遅れを取り戻すべく、長崎県や熊本県などの他県に追いつけ追いこせで電気・ガスのライフラインの充実と鉄道などの近代事情に力を注いできました。その年の明治43年には九州発の市内電車(福博電車)が医大前から西公園の間と呉服町から博多駅の間で開通します。そして、同じく明治43年に「第13回九州沖縄八県共進会(国内博覧会)」が開催されます。これが契機となって、名実共に九州の中心都市として福岡市が誕生するのです。その後、大正13年(1924年)には九州鉄道(現在の西鉄大牟田線)が一部開通し、昭和14年には全線開通します。昭和2年には東亜勧業博覧会が、昭和11年には博多築港記念大博覧会が行われ、福岡はますますの発展を遂げるのです。ちなみに今でも福岡市民に愛される?大濠公園?は東亜勧業博覧会の際に作られたものなのです。

博多大空襲「太平洋戦争」

昭和20年(1945年)の6月19日に福岡市は大空襲に見舞われます。福岡大空襲です。B29によって2時間に渡り無差別攻撃を受けました。博多は火の海となり焦土と化してしまいます。豊臣秀吉が作った貴重な博多の町並みが壊滅状態になり、犠牲者は千数百人となりました。しかし、この悲惨な状態の中で福岡市は強く立ち上がり、都市計画で大きな発展を遂げるのです。今も福岡市の小学校ではほとんどの小学校で平和授業として博多大空襲を学んでいます。この歴史を忘れることなく、繰り返えすことがないよう学んでいるのです。

 

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